「五島美術館」に行ってきた感想・レビュー 源氏物語絵巻が見れるのはゴールデンウィークのみ

美術展情報

家から比較的近所に「五島美術館」があり行ってみることにしました。

開館:10~17:00 (月曜日 休館) 入館料:1,400円 場所:上野毛駅 徒歩5分

源氏物語絵巻は、毎年4月29~5月7日のGWの時だけ、紫式部日記絵巻は、10月7~15日のSilverWeekの時だけの展示だそうで、今回は見れませんでした。

展示室はそれほど大きくないですが、庭園が大きく全部で6000坪あり、中には、稲荷丸古墳などがあり、ちょっとした散歩ができます。

五島美術館のことをちょっと調べてみました。

1945年、太平洋戦争が終結すると、GHQの指導で、1946年に財産税法が制定されます。これは、超累進課税で、最大で資産の90パーセントが撤収されるというもので、多くの資産家がコレクションを手放さなければならなくなりました。また、1947年には、相続税法が改正され、美術品などの資産を相続することも難しくなりました。 

しかし、こうしたコレクションの崩壊は、新しいコレクターのチャンスともなったわけです。 

たとえば、日本でコカ・コーラのビジネスを始めた高梨仁三郎は、平安時代からの旧家で、キッコーマンを創業した高梨家の出身でもあります。戦後、益田孝(鈍翁)の美術品をマッカーサーが買い取るという噂があり、当時食品卸問屋の社長だった高梨が海外流出を防ぎたいということで購入したりしました。 

1922年、五島慶太は、鉄道院から武蔵電気鉄道を経て、阪神電鉄の創始者の小林一三の推薦で荏原電気鉄道の経営を任され、これを目黒蒲田電鉄と改称し、専務取締役に就任します。五島は、目黒-蒲田間を開通させ、また、他鉄道会社とも合併を繰り返し1939年には、東京横浜電鉄と商号を変更して社長に就任しました。鉄道だけでなく、映画、バス、タクシーなど事業拡大の買収なども貪欲に行ったため「強盗慶太」の異名がつくようになります。 

五島の美術品収集は、小林一三の影響だったと言われています。小林は古美術の研究や鑑賞を目的とした経済人らの集まり「延命会」に五島を誘いました。 

五島、美術品収集のコンセプトを「早い話、お寺へ出かけたと同じ雰囲気を、自分のぐるりにつくりだそうと考えた」としています。当時、頻繁にあった関西への出張の際の古寺巡礼でもたらされた「やすらぎ」が、激しい事業を支え、スケール大きい経営手法がそのまま大コレクション形成に役だちました。 

最初にのめりこんだのが「古写経」です。これは、五島の父は熱心な法華経信者で、朝夕に「南無妙法蓮華経」を500~1000遍も唱えていたことが影響したそうです。 

1948年に久原房之助(日本鉱業)の奈良時代以降の古写経、国書、漢書などがある「久原文庫」を一括五百円で購入し、翌年大東記念文庫を設立します。このように、五島の収集方法は、経営手法そのままを思わせるM&A方式だといえます。 

また、高梨仁三郎がコカ・コーラビジネスを始める初期の1958年、資金繰りがつかず、個人財産の「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」など国宝 5 点、重要文化財 50点の3億円(当時の価格)分を五島に売却しました。また、京都法曹界で活躍した守屋孝蔵の古鏡コレクションも五島は、一括入手しました。五島の没後の1960年に、「五島美術館」(世田谷区上野毛)が開館し、これらのコレクションが公開されることになったわけです。 

戦後の激動の時代、たくさんの実業家がそれこそ生き馬の目を抜くような状況の中で過ごしている日常において、この美術品たちが精神的な安定を実業家へ与え、日本は高度成長を遂げていったのだとおもいます。

参考文献 

『「五島慶太」強盗と呼ばれた経済人』J-Net21 2004年 https://j-net21.smrj.go.jp/special/venture/20041214.html 

『「強盗」と呼ばれた経営者のアート開眼』日経BiZGate 2018年 

世界の企業物語『コカ・コーラ―その資本・戦略・体制』ダイヤモンド社 1968年 

宮本惇夫著『コカ・コーラへの道―挑戦と忍耐と先見でコークの時代をひらいた高梨仁三郎 (人の世界シリーズ)』かのう書房 1994年 

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